Masuk――数分後、瑛司くんがオーダーした料理が出来上がり、配膳台にトレーが置かれた。さあ運ぶぞと思ったら、他のスタッフがそのトレーを持って行ってしまった。
「あー、瑛司くんのオーダー……。あたしが運びたかったなぁ」
「宮瀬さん、四番テーブルの片付けお願いします」
「……はい」
ちょうど今、四番テーブルで食事をしていた三人組のお客様が会計を済ませて出ていかれたところだったので、店長から指示が入った。これも仕事だから仕方がない。あたしはダスターをエプロンの腰
* * * *
――ランチタイムが終わると客足もまばらになり、どうにかシフトどおりの三時にあたしは仕事を終えた。
「それじゃ時間になったので、お先に失礼します」
ホールとキッチンにいる他のスタッフたちに声をかけ、ロッカールームへ。制服からカジュアルな私服に着替え、退勤のタイムカードを押して通用口からお店を出ると、あたしは休憩時間にスマホに登録しておいた瑛司くんの携帯番号に電話した。
「――あ、もしもし。あたし……莉子です。今、仕事終わってお店を出たところ」
わざわざ名前を言ったのは、あたしも携帯の番号とアドレスを変えたから。奏の父親を亡くしてから、心機一転するために自分の名義でスマホを新しく契約し直したのだ。
『ああ、莉子。お疲れさま。分かった。それじゃ、言ってたカフェに今から来られる? 俺、もうそこで待ってるからさ』
「うん。今から行くよ。じゃあ、また後でね」
あたしは通話を終えると、早く彼に会いたくて、スマホを握りしめたまま約束のカフェに向かって足早に歩き始めた。そこへ向かう数分すらもどかしくて、できることならそこまで
「――いらっしゃいませー!」
お店のドアを開けると、白いシャツにオシャレなエプロンを着けた女性スタッフが出迎えてくれ、店内の奥まった窓際のテーブルから瑛司くんが手を振ってくれた。
「おーい、莉子ー! こっちこっち!」
彼が笑顔で手招きしてくれたので、あたしはそのテーブルまで行くと彼の向かいに腰を下ろした。四人掛けのテーブルだったので、通勤用のトートバッグは空いている隣の椅子に置かせてもらう。
あたしが座るのを待って、さっき出迎えてくれた女性のスタッフさんがお冷やとおしぼりを持ってきてくれたので、あたしはすぐにホットのカフェオレを注文した。瑛司くんの前にはもう、ホットコーヒー(ブラック)のカップと半分くらいに減ったお冷やのグラス、広げられているおしぼりが置かれているので、彼は早めに来て待ってくれていたようだ。
「どうせならスイーツも注文すればよかったのに。ここ、手作りのガトーショコラが名物なんだ」
「うん……。でも、今日はあんまり時間ないから」
「あ、そっか。娘さんのお迎えがあるんだったっけな。娘さんの写真、ある?」
「スマホの中にあるよ。えーっと……、これがいちばん最近撮ったやつ」
あたしはスマホを操作して、ギャラリーアプリに保存しているいちばん新しい奏の写真を彼に見せる。キラキラした
「へぇー……、可愛いじゃん。莉子にそっくりだな」
「ありがと。名前は奏っていうんだ。〝奏でる〟の字で〝奏〟」
「そっか、奏ちゃんっていうのか。……ひとりで大変だったな、莉子」
「……大変だったけど、両親も協力してくれてるから。奏には淋しい思いをさせたくなくて」
あたしはそれをごまかすようにそう言って、お冷やをガブッと飲んだ。
「うん、分かるよ。奏ちゃんがお母さんとおじいちゃんおばあちゃんから大事にされてるって。だってこの写真の中の奏ちゃん、めっちゃ幸せそうだもん」
「…………うん。でもね、いつまでも両親に頼ってばっかりもいられないから。いつかは奏と二人で暮らせるようになりたくて、働きながら貯金して。今のところ百二十万くらい貯まってるんだけど」
「百二十万も!? スゴいじゃん!」
彼はあたしの貯金額に目を丸くしたけれど、あたしにしてみればこんなのまだまだ大した金額じゃない。月にパートの給料の半分近くを貯金に回せているのは、実家で暮らしていてあまりお金がかからないからなのだ。奏と二人、実家を出て暮らすとなるとそうはいかない。
そしてふと疑問に思う。こんな時間に抜け出せるなんて、瑛司くんは一体何の仕事をしているんだろう……?
「ちなみに、今の収入は月にいくらくらい?」 注文していたカフェオレが運ばれてくると、あたしはそれを飲みながら彼の質問を受けた。「時給千三百円で一日六時間、月に十八くらいシフトに入ってるから……えっと、十二万ちょっとかな。土日は時給が百円上がるから」「十二万か……。それで貯金もして、親子二人で実家出て暮らしていくのは厳しいんじゃないか?」「うん……。一応、児童扶養手当も入るけど。やっぱりそれでも厳しいよね……」 あたしの話を聞いていた瑛司くんは、次の瞬間思いがけない提案をしてくれた。「……俺なら、莉子たち親子を助けてあげられるよ」「えっ、どういうこと? ……ねえ、瑛司くん。瑛司くんは今、何の仕事をしてるの?」 あたしが訊ねると、彼は一枚の名刺をくれた。そこには〈株式会社タカクラプランニング 代表取締役社長〉という肩書きが、彼の名前と会社の連絡先やメールアドレスと一緒に書かれている。 瑛司くんが社長……。なんか信じられない。「実は俺、大学在学中に起業してさ。プランニングとかの会社なんだけど、今じゃ年商十億円」「年商、十億……。スゴいね」 何だか、彼がものすごく遠い存在になってしまったような気がする。でも、「彼ならあたしたち親子を助けられてる」ってどういうことだろう? 彼の仕事と何か関係あるのかな?「いや、そんなことないよ。――で、ここからが本題。莉子、俺の会社で、正社員として働いてみないか? 俺、莉子と一緒に働きたい」「……えっ? 正社員って、あたし大学中退だよ? いいの?」「大丈夫、問題ないよ。ウチの会社、学歴は重視してないから。月給三十万、年二回ボーナス支給の年収六百万でどうだろう? 家賃補助も出すよ。それなら今までよりずっと早くお金も貯まるし、それでも奏ちゃんと親子二人で十分暮らしていけるだろ?」「うん。お金の面では楽になると思う……けど、正社員になったら奏と過ごす時間が減っちゃわないかな?」 あたしがパート勤務を選んだのは、お金のことよりも奏と過ごす時間を大事にしたかったからだ。正社員として働くようになったら、奏に淋しい思いをさせてしまうことになるんじゃないだろうか……?「それも大丈夫。ウチの会社はフレックスタイム制を採ってるから、保育園のお迎えの時間とかは融通利くよ。実際に、莉子みたいにお子さんを保育園に預け
――数分後、瑛司くんがオーダーした料理が出来上がり、配膳台にトレーが置かれた。さあ運ぶぞと思ったら、他のスタッフがそのトレーを持って行ってしまった。「あー、瑛司くんのオーダー……。あたしが運びたかったなぁ」「宮瀬さん、四番テーブルの片付けお願いします」「……はい」 ちょうど今、四番テーブルで食事をしていた三人組のお客様が会計を済ませて出ていかれたところだったので、店長から指示が入った。これも仕事だから仕方がない。あたしはダスターをエプロンの腰紐に引っかけ、指示されたテーブルへ向かうのだった。 * * * * ――ランチタイムが終わると客足もまばらになり、どうにかシフトどおりの三時にあたしは仕事を終えた。「それじゃ時間になったので、お先に失礼します」 ホールとキッチンにいる他のスタッフたちに声をかけ、ロッカールームへ。制服からカジュアルな私服に着替え、退勤のタイムカードを押して通用口からお店を出ると、あたしは休憩時間にスマホに登録しておいた瑛司くんの携帯番号に電話した。「――あ、もしもし。あたし……莉子です。今、仕事終わってお店を出たところ」 わざわざ名前を言ったのは、あたしも携帯の番号とアドレスを変えたから。奏の父親を亡くしてから、心機一転するために自分の名義でスマホを新しく契約し直したのだ。『ああ、莉子。お疲れさま。分かった。それじゃ、言ってたカフェに今から来られる? 俺、もうそこで待ってるからさ』「うん。今から行くよ。じゃあ、また後でね」 あたしは通話を終えると、早く彼に会いたくて、スマホを握りしめたまま約束のカフェに向かって足早に歩き始めた。そこへ向かう数分すらもどかしくて、できることならそこまで瞬間移動したいくらいだった。「――いらっしゃいませー!」 お店のドアを開けると、白いシャツにオシャレなエプロンを着けた女性スタッフが出迎えてくれ、店内の奥まった窓際のテーブルから瑛司くんが手を振ってくれた。「おーい、莉子ー! こっちこっち!」 彼が笑顔で手招きしてくれたので、あたしはそのテーブルまで行くと彼の向かいに腰を下ろした。四人掛けのテーブルだったので、通勤用のトートバッグは空いている隣の椅子に置かせてもらう。 あたしが座るのを待って、さっき出迎えてくれた女性のスタッフさんがお冷やとおしぼりを持
――今日もあたしは奏を保育園に預け、朝九時からファミレスのパートに出ていた。 そしてランチタイムを迎え、今日もお店は忙しい。あたしが働いている大手ファミレスチェーンの虎ノ門店は、お昼休みを迎えたサラリーマンやOLさんのグループでテーブル席はいっぱいだ。 オーダーされた料理を運び終えてひと息ついていると、また呼び出しチャイムがポーンと鳴らされた。「はい! ただいま伺います!」 他のスタッフたちも、オーダーを取りに行ったり料理を運んだりでみんな忙しそうだ。というわけで、あたしが入力端末を取り出して向かったのは、お一人で座っている若い男性のお客様のテーブル。 年齢はあたしと同じくらい。彼もビジネスマンふうではあるけれど、どちらかといえば労働者側というより経営者側という感じ。 そしてなぜだろう? あたしは彼の横顔に懐かしさを感じた。――あたし、この人のことを知っているかもしれない……。「――いらっしゃいませ。ご注文をお伺いします」 いけない、今は仕事中なのだと気持ちを切り替え、端末を開いて声をかけると、彼がパッと顔を上げてあたしの顔――というか制服の胸に付けているネームプレートかもしれない――を見つめてハッとしたような顔をした。ネームプレートにはフルネームがローマ字で刻字されているのだ。「……莉子?」「えっ? あの、どうしてあたしの名前を……」 彼の顔をまじまじと見つめたあたしは、そこに懐かしい人の面影を見つけた。でもまさか……。もし本当にそうだとしたら、彼とは十年ぶりの再会ということになる。「……もしかして、瑛司くん? 中三の夏休みに転校していった」「その〝もしかして〟だよ、莉子。久しぶりだな。十年ぶりくらいだっけ?」 その笑顔、その柔らかな話し方。彼はやっぱりあたしの初恋の人、幼なじみの高倉瑛司くんだった。「うん……、そうだね」「莉子がここで働いてることは前から知ってた。――子供、いるんだって? 結婚してたんだ?」「子供はいるよ。三歳半の娘がね。大学時代の彼氏の子。でも、結婚はしてないよ。彼、あたしの妊娠を知る前に交通事故で死んじゃったから」「そっか。じゃあ〝未婚の母〟ってことか」「うん。……あの、ごめんね瑛司くん。あたし今、仕事中だから」 あたしは彼としばらく話し込んでいたけれど、他の
――二十一歳の夏、あたし・宮瀬莉子の大切な人は天国へ行ってしまった。交通事故に巻き込まれて、ほとんど即死だった。 悲しむ間もなく、あたしは体に異変を感じた。――生理が来ない。それが何を意味しているのか、さすがに二十一歳にもなれば分かった。 妊娠検査薬で陽性反応が出て、母に付き添ってもらって病院へ行くと妊娠三ヶ月だと女性の産婦人科医から告げられた。父親は彼しかいない。 堕ろすなんて選択肢は最初からなかった。彼の大事な忘れ形見だから、絶対に産もうと決めた。 父には猛反対された。「大学を辞めてまで産むのか」と。でも、あたしの意思は固かった。「あたし、大学辞めるよ。この子を産んで、働きながら育てる。お母さんは『協力する』って言ってくれてるよ」 母は「何も大学を辞めなくても……。休学じゃだめなの?」と言ったけれど、そんな中途半端な気持ちじゃシングルマザーなんてできないと思った。 父は「勝手にしろ」とあたしを突っぱねたけれど、多分本当は頼ってほしかったのだろう。 一度母親になる覚悟が決まってしまうと、つわりのつらさも母の協力のおかげでどうにか乗り越えることができた。 そして翌年の五月、あたしは可愛い女の子を出産し、「奏」と名付けた。――あたしはこれから、この子と二人で生きていくんだ。そう心に決めた。 両親にも協力してもらいながら、あたしは奏を一生懸命育てながら就職活動を始めた。大学を卒業していないし、奏との時間を多く取りたいので正社員は諦め、パートの仕事を探し、奏が一歳半になる頃にファミレスのホール係の採用が決まった。あたしは奏を保育園に預けて働き始めた。 両親を頼らずに親子二人だけで暮らせるようになりたくて、一日六時間・週四日のパートで働きながらお金を貯めることにした。時給千三百円のパートで月に五万円ずつ貯金して、二年で百二十万円貯まったけれど、奏の教育資金のことも考えるとまだまだ足りない。 気がつけば未婚のままあたしは二十五歳に、奏も三歳半になった。 奏には父親が必要かもしれないと思いつつも、未婚の母という事実が恋愛をするのに重荷になっているのか、なかなか新しい恋に踏み出せずにいる。その相手に奏が懐いてくれるかどうかという問題もあった。 そんなふうに、あたしはこのままず







